つつも
ながらに
んがため
んばかりに
第1题:
きのうは日曜日でした。わたしはいろいろなところへ行きました。まず九時にうちを出て、バスではくぶつかんへ行きました。今フランスのえやちょうこくのてんらんかいをやっています。それを見に行きました。 そのあとでちかくのレストランへおひるごはんをたべに行きました。日曜日でしたのですこし込んでいました。つぎにデパートへ行ってかいものをしました。デパートにも人がたくさんいました。すこしつかれたのできっさてんへ入ってコーヒーをのみました。それからほんやへいってじゅぎょうのさんこうしょをさがしましたがみつからなかったのでちゅうもんしてみせを出ました。みせのまえで大学のともだちに出会いました。いっしょにすこしとおりをさんぽしました。 するとおもしろそうなえいがをやっていたので、いっしょに見に入りました。えいがかんも人でいっぱいでした。二時間くらいしてえいがかんをっ出て、そのともだちとばんごはんをたべにいきました。ともだちがちかくにおいしいみせをしっているというのであるいて行きました。そこにもおきゃくさんがたくさんいました。しかしすぐにせきがみつかりました。わたしたちはすこしおさけをのみました。九時ごろみせを出て、九時はんごろうちへかえりました。すこしつかれましたがたのしい一日でした。どんな一日でしたか。()
第2题:
地震などの非常用食品(ア)の乾パンの缶詰(罐头)は見たことがあるが、普段食べているようなパンの缶詰は初めて見た。乾パンはご存じのようにかたくてほとんど味がない。あまりにもおいしくないから、非常時だったら仕方なく食べるだろうが、普段はとても食べたくない。 しかし缶詰のパンはまったく違う。パンの種類によって保存期間が1年のものと2年のものがある。様々な種類のパンがあって、どの缶詰も開けるとふわふわ焼きたて(刚烤出)のようなパンが現れる。試食した食感はスーパーなどで売っているパンと同じだった。というよりかなりおいしい。感激した。わが家も非常食を乾パンからこちらに替えようと思う。 だれがなぜパンの缶詰の生産を思い立った(想出)のか。調べてみると、1995年に6400人余りの死者を出した阪神淡路大震災の際、あるパン屋さんがトラック1台分のパンを寄付(捐赠)したことが始まりだった。そのパン屋さんは被災者にかたい乾パンなどではなくふわふわのパンを食べさせたいと考えて、非常食用のパンの缶詰の開発を始めたのだそうだ。 パンの缶詰の成功後は新潟震災やつい最近のスマトラ島沖地震などの際も被災地に寄付したそうだ。非常用だけでなく難民救済用にも便利であるから、世界中で受け入れられる日は近いだろう。「乾パン」について筆者が言っているのはどれか()
第3题:
地震などの非常用食品(ア)の乾パンの缶詰(罐头)は見たことがあるが、普段食べているようなパンの缶詰は初めて見た。乾パンはご存じのようにかたくてほとんど味がない。あまりにもおいしくないから、非常時だったら仕方なく食べるだろうが、普段はとても食べたくない。 しかし缶詰のパンはまったく違う。パンの種類によって保存期間が1年のものと2年のものがある。様々な種類のパンがあって、どの缶詰も開けるとふわふわ焼きたて(刚烤出)のようなパンが現れる。試食した食感はスーパーなどで売っているパンと同じだった。というよりかなりおいしい。感激した。わが家も非常食を乾パンからこちらに替えようと思う。 だれがなぜパンの缶詰の生産を思い立った(想出)のか。調べてみると、1995年に6400人余りの死者を出した阪神淡路大震災の際、あるパン屋さんがトラック1台分のパンを寄付(捐赠)したことが始まりだった。そのパン屋さんは被災者にかたい乾パンなどではなくふわふわのパンを食べさせたいと考えて、非常食用のパンの缶詰の開発を始めたのだそうだ。 パンの缶詰の成功後は新潟震災やつい最近のスマトラ島沖地震などの際も被災地に寄付したそうだ。非常用だけでなく難民救済用にも便利であるから、世界中で受け入れられる日は近いだろう。「そのパン屋さん」がしたことはどれか()
第4题:
きのうは日曜日でした。わたしはいろいろなところへ行きました。まず九時にうちを出て、バスではくぶつかんへ行きました。今フランスのえやちょうこくのてんらんかいをやっています。それを見に行きました。 そのあとでちかくのレストランへおひるごはんをたべに行きました。日曜日でしたのですこし込んでいました。つぎにデパートへ行ってかいものをしました。デパートにも人がたくさんいました。すこしつかれたのできっさてんへ入ってコーヒーをのみました。それからほんやへいってじゅぎょうのさんこうしょをさがしましたがみつからなかったのでちゅうもんしてみせを出ました。みせのまえで大学のともだちに出会いました。いっしょにすこしとおりをさんぽしました。 するとおもしろそうなえいがをやっていたので、いっしょに見に入りました。えいがかんも人でいっぱいでした。二時間くらいしてえいがかんをっ出て、そのともだちとばんごはんをたべにいきました。ともだちがちかくにおいしいみせをしっているというのであるいて行きました。そこにもおきゃくさんがたくさんいました。しかしすぐにせきがみつかりました。わたしたちはすこしおさけをのみました。九時ごろみせを出て、九時はんごろうちへかえりました。すこしつかれましたがたのしい一日でした。えいがかんはこんでいましたか。()
第5题:
現代科学の発達は、わたしたちの生活に大きな変化を与えている。子供たちの教育にとっても今まででは考えられないような影響がある。 今から50年ほど前、テレビは一般の家庭ではまだ見ることができなかった。当時の子供たちの遊ぶ場所は、家の中ではなく、原っぱ(野地)や空き地、それから今ほど車が多くなかった道路であった。そこで子供たちは友達と遊びながら、知らず知らずのうちにいわゆる社会勉強もしてきたのだ。 時が経ち、テレビが普及するようになると、子供たちはあまり外へ出なくなった。外はビルが立ち並び、道路は車が頻繁通るようになった。外で遊びたくても遊ぶ場所がない。そしてパソコン時代の今、一日中の中でインターネットやメールをしている子供が増えている。 A.Tの普及によって、わたしたちの生活は非常に便利になった。(ア)、子供の教育という点で見るとどうだろう。昔のような社会勉強はできなくなってしまった。生まれた時からインターネットや携帯電話のある世界で育つ今の子供たちがどういう大人になっていくのか、興味深い。それと同時に想像できない恐怖を感じるのはわたしだけだろうか。今の子供たちが外で遊べない理由はどれか()。
第6题:
日本ではペットといえば、犬や小鳥や金魚などが一般的だったが、最近は蛇や豚などこれまでペットと思われていなかったものも飼われるようになってきた。また、飼い方も変わってきている。 これまで人とペットの間は飼っている人と飼われているものというはっきりした上下関係があった。しかし、いまは家族の一員のように思っている人が多い。ペットをまるで自分の子どものようにかわいがる人が多いのだ。これは家族構成の変化などが影響しているためと思われる。記念写真を撮りにわざわざ写真館へ行ったり、洋服を着せたりする人もいるそうだ。また、日本の狭い住宅事情に合うことから、手軽に(轻松、随意)飼える小さなペットが好まれている。最近では、ペットを家の中で買う人が多くなってきている。(ア)ペットを飼ってもいいアパートやマンションはどこも人気がある。ペットを飼う人の数は着実に増えているのだ。 最近、日本人とペットの関係はどのようになっていくのかというアンケート調査が行われた。その結果、「家族同様に生活する世帯が増える」、「老後のパートナー(伴儿)としての重要性が増す」と答えた人が多く、少子・高齢化が進む中、ペットの地位は確実に高くなってきているようだ。文中の「これ」の指すことはどれか()
第7题:
きのうは日曜日でした。わたしはいろいろなところへ行きました。まず九時にうちを出て、バスではくぶつかんへ行きました。今フランスのえやちょうこくのてんらんかいをやっています。それを見に行きました。 そのあとでちかくのレストランへおひるごはんをたべに行きました。日曜日でしたのですこし込んでいました。つぎにデパートへ行ってかいものをしました。デパートにも人がたくさんいました。すこしつかれたのできっさてんへ入ってコーヒーをのみました。それからほんやへいってじゅぎょうのさんこうしょをさがしましたがみつからなかったのでちゅうもんしてみせを出ました。みせのまえで大学のともだちに出会いました。いっしょにすこしとおりをさんぽしました。 するとおもしろそうなえいがをやっていたので、いっしょに見に入りました。えいがかんも人でいっぱいでした。二時間くらいしてえいがかんをっ出て、そのともだちとばんごはんをたべにいきました。ともだちがちかくにおいしいみせをしっているというのであるいて行きました。そこにもおきゃくさんがたくさんいました。しかしすぐにせきがみつかりました。わたしたちはすこしおさけをのみました。九時ごろみせを出て、九時はんごろうちへかえりました。すこしつかれましたがたのしい一日でした。どこでおひるごはんをたべましたか。()
第8题:
初めて人前で話をした時のことである。200人もの聴衆(ちょうしゅう)を相手に円説するということが、どんなに恐ろしいものか、壇上(讲台上)に立って初めて分かった。 テーブルの上には原稿を広げていたし、それを見ながらしゃべり出していた。 しかし、まるで雲に向かって話をしているような感じだった。わたしの話を理解してくれる人が得られるのだろうか。 (ア)、話しているうちに、ふと()気づいた。会場のあちこちに、柔らかく光るものがあったのだ。その「光」は人の目であった。 とたんに(瞬间)不安感は消えた。この「まなざし(目光)」を相手に、素直に(坦率地)話し続ければいいのだと思った。自分の声に自信が出るのを感じた。話をなんとか予定の時間どおりにすることができた。そして大きな拍手までいただいた。 初めて力を与えてくれた何人かの「まなざし」は、相手を知ろう、理解しようという心の現われだったに違いない。その心によってわたしは守られた。飾りを捨てて、ありのまま自分を見せながら語ることができた。それで初めて聴衆の多くと心を通い合わせるチャンスを得たのだ。 人は自分を分かってくれようとしている相手に対して、心を開くものだ。だから、相手に分かってもらいたければ、まず相手を分かろうとするところから出発すべきだろう。 30分間の壇上の体験で、わたしは大切なことを学んだ。それ以来、どんな人にも「あなたを理解したい」という心を、できるだけ「まなざし」に表すことにしている。文中に「わたしは大切なことを学んだ」とあるが、学んだことはどれか()。
第9题:
ニュースは、新聞だけではなくテレビで知ることもできます。 じゃあ、新聞なんか読まなくても、テレビを見ればいいじゃないか。そのほうが楽だし速いじゃないか。そんなふうに考える人もいるかもしれません。でもやはり、ぼくは新聞を読んでほしいと思います。新聞には、テレビにないよさがあると思うからです。 テレビというのは、映像と音が組み合わさっています。見る側は、目とか耳とかの感覚を働かせることになります。テレビの前に座っていると、感覚に訴える要素が次々に現れ、次々に消え、移っていくわけです。これはテレビの特色ですが、同時に欠陥でもあります。 ときどきこちらが考えさせられるようなことを言ったり、興味深い画像が出てきたりしますが、あっと思ったらもう次に移ってしまい、よほど印象深いもの以外は思い出しません。 それに対して新聞、(ア)活字の場合は、立ち止まって(停下来)考えることができます。それだけではなく、さらにその先へ考えを進めることができる。想像を広げたり、新しい着想を得たりということが可能なのです。 映像から得る感覚的な刺激は、(イ)だけで終わってしまうことが多いのですが、活字の場合は、新しい何かを付け加えたり、まったく違うものを創り出したりということがしやすいのです。この文章の内容に最も合っているものはどれか()
第10题:
きのうは日曜日でした。わたしはいろいろなところへ行きました。まず九時にうちを出て、バスではくぶつかんへ行きました。今フランスのえやちょうこくのてんらんかいをやっています。それを見に行きました。 そのあとでちかくのレストランへおひるごはんをたべに行きました。日曜日でしたのですこし込んでいました。つぎにデパートへ行ってかいものをしました。デパートにも人がたくさんいました。すこしつかれたのできっさてんへ入ってコーヒーをのみました。それからほんやへいってじゅぎょうのさんこうしょをさがしましたがみつからなかったのでちゅうもんしてみせを出ました。みせのまえで大学のともだちに出会いました。いっしょにすこしとおりをさんぽしました。 するとおもしろそうなえいがをやっていたので、いっしょに見に入りました。えいがかんも人でいっぱいでした。二時間くらいしてえいがかんをっ出て、そのともだちとばんごはんをたべにいきました。ともだちがちかくにおいしいみせをしっているというのであるいて行きました。そこにもおきゃくさんがたくさんいました。しかしすぐにせきがみつかりました。わたしたちはすこしおさけをのみました。九時ごろみせを出て、九時はんごろうちへかえりました。すこしつかれましたがたのしい一日でした。本やで本をかいましたか。()